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​三宅誠志のあゆみ

人を大切に 物を大切に 自分も大切に

三宅誠志のあゆみ: 問題
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こんにちは 三宅せいしです

​水島うまれの水島そだち

倉敷市福田町福田、通称「一文字」というところで、三宅雅之商店を営む母と暮らしています。
慈愛幼稚園、倉敷市立第二福田小学校、金光学園(中・高)、名古屋工業大学卒業し、(株)林原に入社し、千葉・大阪・ジャカルタ・デンバー・シドニー等に勤務してきました。
趣味は、健康のために、日曜日、雨の日そして二日酔い以外の日には、8kmから10㎞を、早朝に歩いております。
子どものころから、スポーツをすること&見ることが大好きです。

小学校の5年から中学校の3年までは水島武道館で剣道をやっていました。高校時代は、野球部で活動し、見果てぬ夢でしたが、甲子園を目指していました。

​岡山だいすき人間だからこそ

世界から日本を見る。

思考はグローバル。行動はローカルに。

岡山が大好き人間である私は、岡山の林原に就職し、38年勤め昨年の6月末で定年退職しました。

林原では、研究職での国内留学、自社製品を使用した食品の応用研究、営業、品質保証関連業務、物流・受注関連業務などを行いました。

また、シドニーをはじめ3か国、約14年間の海外赴任をし、世界から日本を見て一番の思い出は、食品の美味しさや食感の維持を長持ちさせる「トレハロース」という糖質が、林原の得意分野の菓子類以外に、どんな食品に応用できるかを昼夜をいとまず研究し、その結果を全国のお客様に広げる為に、講演会や直接の訪問で、全国を駆け巡ったことです。

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日本共産党との出会い

苦しみに寄り添い、その苦しみの解決に奔走している人たち

名古屋工業大学で学生セツルメント運動に入りました。セツルメントとは、「社会奉仕活動を通じ、学び、成長し、社会人になってもそれを生かしていこう」という運動です。

 私の活動場所は名古屋でも公害患者の方の多い地区でした。

公害患者の会の皆さんと交流し、公害の汚染度の調査や患者の子どものために「グリーンスクール」(短期、療養治療)の実行委員をしていました。

私は、公害によって子ども達をはじめ多くの市民が苦しんでいる現実を目の当たりにして、また、私の故郷倉敷でも多くの方が公害に苦しんでいる事も知り、科学者の端くれとして、こういった矛盾を解決するには政治を変えないといけないと強く思ってきました。

 公害患者さんの苦しみに寄り添い、その苦しみの解決に奔走している人たちが沢山いましたが、その中心になって活動していたのが、日本共産党の人達でした。社会で苦しむ弱い立場の人々の為に献身的に活動している共産党員の姿を見て、自分もその一員としてがんばりたいと思い、入党しました。

​決意

多くの人が希望をもって暮らせる倉敷市を

今、安倍内閣の暴走が国民を苦しめています。地域でも「年金は減らされ、負担が増えて、暮らして行けない」「医療、福祉が削られて、将来が不安」というみなさんの悲痛な叫びと政治に対する怒りをお聞きします。

私は、何としても政治を変えて、くらしや福祉が大切にされ、ひとりでも多くの人が希望をもって暮らせる倉敷市をつくる。市民の皆様と一緒に頑張りたい。との想いから、倉敷市議会にむけて全力でがんばる決意をしました。

二度とない人生を社会を良くするために全力を尽していこうと考えています。

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©2020 by 三宅 誠志。Wix.com で作成されました。

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